地球にいながら、自分の置いてきたパワーにアクセスし、活用しながら地球を楽しむことは可能

地球にいながら、自分の置いてきたパワーにアクセスし、活用しながら地球を楽しむことは可能なのです。

スタントン菜穂さん著『地球大暴露』64ページより引用

結局みんなが望んでいるパワーってこれでしょ?
可能なんだったら誰だって活用したいと思う。
でもこれも悪魔的宇宙存在に依存することでも可能なんだと思う。
いわゆる悪魔に魂を売るってやつです。

地球を支配しているだろう悪魔的宇宙存在も、宇宙存在であるがゆえに、そのパワーにアクセスすることが可能だと考えられます。
まあだからこそ悪魔教はそこそこ人気があるんでしょうね。

オンラインゲームを楽しんでいて、どうしてもクリアできないことがあって、攻略サイトに頼るそういう感じなのかもしれません。自分の置いてきたパワーにアクセスするというのは。

この本に書いてあることが正しいとして話を進めますが、普通は愛と全知全能の正反対である悪と不知不能を体験しに地球に来てるんだから普通に悪と不知不能を楽しめよ!って思ってしまいます。

だけど楽しめないですよね~。
第一悪をなせば法的に罰せられ不自由を体験させられます。
不自由は不快であり嫌なものです。

同じく不知不能も不快です。
不知不能で良かったとは表向きは思えません。
裏では不知不能だからこそいろんなことが経験できて良かったとなるのですが。

快を求めるならそのまま宇宙にいれば良かったのに、わざわざ悪と不知不能の地球に来たということは、快以上に価値あるものを体験しようと思ったんでしょうね。

人間の行動原理は快を求める、です。
人間が行動するのはすべていい気分になるためです。
食欲や性欲が満たされて悪い気分になる人はいません。
お金も地位も名誉もすべていい気分になるためです。
苦しい修行やトレーニングもその先にいい気分があるからです。
病気を治したいのもいい気分でいるためです。
人間が行動を起こすとき、そこにある理由はただ一ついい気分になりたい、です。
怪我して痛いからいい気分になるために治療をします。
悪い嫌な気分が好きな人間はいません。
まあ中には悪くて嫌な気分が良い気分という人もいるかもしれませんが。
その場合でも結局求めているのはいい気分です。

さて私たちが宇宙で愛の塊だった頃、気分はいい気分だったのでしょうか?
それともそういう感情を超越した存在だったのでしょうか。
肉体を持たないのだからいい気分も存在しないのかも知れません。
というか宇宙ではすべてがひとつなので、人間関係が存在しません。
人間関係が存在しなければ、優越感も達成感も勝利感も存在しません。
だとすると宇宙にいた頃にはいい気分も存在しなかった可能性があります。
いい気分は地球特有の感情なのかもしれません。

結局のところ、宇宙に置いてきたパワーにアクセスしたい理由は、他人に勝ちたいとか優越感を感じたいとか、そういう人間関係における欲求を満たしたいからというのがほとんどだと思います。
人間関係においていい気分でいたい。
究極それが全人類の願いです。

支配するのがいい気分の人もいるだろうし、尽くすのがいい気分の人もいるだろう。
いろんな種類のいい気分が存在するだろうけど、人間関係においていい気分でいたいというのは一致する欲望だと思います。

そしてその欲望が満たされない場合悪い気分で不快な状態になります。
いわゆる不幸な状態になります。
不幸は不快なので、いい気分を目指して、たとえば宇宙に置いてきたパワーにアクセスしようとかします。常に目指すのはいい気分でいること。地球にいる間は永遠にそうではないでしょうか。

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