以下スタントン菜穂さん著『地球大暴露』12ページをまとめてみると
私たちが地球に来た理由は宇宙にない非日常を楽しむため
本来の私たちは愛に溢れる光の粒のエネルギー体(=魂)そのもので、全知全能の存在
私たちは地球に生まれる前ワクワクしていた
宇宙ではすべてがひとつで愛の塊だったのに、地球ではその真逆の体験ができるなんて!としかし地球に来てみると「こんなはずじゃなかった!」と思っている魂が多い
地球には地球の体験を楽しんでもらうため簡単にはクリアできないように、難題や落とし穴が至るところに設置してあったなので私たちは現実はなかなか思った通りにはいかないという錯覚に陥っている
魂状態の私たちは、すべてがひとつで全知全能の愛の塊だった
でもそれだとつまらないので、真逆の体験ができる地球へとやってきた
全知全能の存在から無知蒙昧の存在として
愛とは逆の体験をしたくて地球に来たのに
無知の体験をしたくて地球に来たのに
いきなり全知全能で愛の存在であろうとするから苦しむのだろう
生まれる前私たちが闇を経験することや無知であることにワクワクしていたのなら、素直に闇や無知を楽しめば良いことになる。
楽しもうと思ってスパイ映画を観たのに、たった一人の命を救うために多く人の命が犠牲になるという矛盾や、虫けらのように殺される脇役の敵にも愛しい家族がいるのだと考えるとスパイ映画は楽しめない。いや逆に娯楽であるスパイ映画でさえ苦しみのもととなる。
私たちがもともとは愛の存在であり全知全能であるのなら、ましてやこの地球にはその反対の体験をしたくてやって来たのなら、愛や全知全能を最終目標として定めることは滑稽なことになってしまう。
というかそもそも自分は愛に溢れ全知全能の存在なのだから、それらを求めても無意味だ。
それらに至る過程を楽しむのがこの地球での生活の正解ということになる。
最初から愛や全知全能を求めるのはもったい無いし、そもそも私たちは愛の欠けた無知蒙昧な存在としてこの地球に来ているので最初から愛や全知全能を求めるのは無理がある。
地球だってわざわざ愛の欠如や無知蒙昧を多く体験するような設定になっている。
そうでなければ地球での体験が面白くないしクリアした時に達成感も薄い。
地球に生まれてきたと言うことは皆が愛が欠如した無知蒙昧の設定であるということ
そこを間違っていきなり愛の存在になろうとすると地球での生活が楽しみではなく苦痛になる
私たちは元々光の存在で全知全能なのだから、地球に来て最初からそれらを強く求めてしまうと地球での生活が苦しみ一色になってしまう。何故自分は闇の存在で無知蒙昧なのだろうと悩んでしまう。そのように生まれた来たのに。
何故自分はネガティブで何も知らないのだろう?
いやいや、もともとそういう設定で地球に生まれてきたんだよあなたは、、、ってことになる。
なんて俺は駄目なんだ!と悩む必要はない。
だってそういう設定で生まれてきたのだから。

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