私たちは、愛溢れる光のエネルギー体として、ふわふわと宇宙を飛び回っていました。
光のエネルギー体とは高次元エネルギー体、つまりは「宇宙人」のこと。
全知全能の存在で、愛に満ち溢れ、他者との区別も、善悪も優劣といったジャッジもありませんから、もちろん、争いもなく、喧嘩もありません。
そもそも、その概念すらないのです。
それはまるで、ぽかぽかとお日様にあたって日向ぼっこをしているかのように、心地良く、ふんわりと温かい感覚です。
あなたはこの宇宙の創造主、宇宙人として、宇宙で遊んでいたのです。
スタントン菜穂さん著『地球大暴露』32-33ページより引用
そんな天国からわざわざ地獄のようなこんな地球にやって来なくても良いのに、と素直に思います。
地球では誰もが愛を求めそして全知全能になろうとしています。
愛に溢れて全知全能だったのに何故地球に?w
この引用した部分からそれを推察するに、遊びの一環として地球に来たようですね。
宇宙で遊んでいる私たちは、その遊びとしてわざわざ地球にも来ているようです。
これが本当だとしたら、悪を楽しんだ方が良さそうです。
悪の方が断然魅力的ですから。
みんな何故魅力的な悪を実行できないかというと、死んでから何らかの裁きがあると考える人が多いからです。
もちろん悪を成せばこの地球でも法的に裁きを受けたり村八分にされたりする実害があるというのもあるでしょう。
悪事はしたいが、法的に裁きを受けて自由を奪われる可能性が高い。
悪事はしたいが、ひょっとして死後の世界があってそこで苦痛を受けることになるかも知れない。
だから悪事はしたいが、やめておこう。
つまりハッキリとした確信があるかないかの問題だと思います。
自分は本来光の存在全知全能の存在であり、地球で死んでもまたそういう存在へと戻っていくだけだとハッキリとした確信があれば何の疑いもなく悪事をなせるのかも知れません。
いや逆に言えば光の存在である私たちは悪事をなすためにこの地球にやって来たとも言えるでしょう。もともとは光の存在であるので経験したことのない闇を楽しむために地球にやって来た。
そうなるかもしれません。
もしそうだとしたら、今までの価値観が逆転する。
元々が善なる存在なのだから悪をなさなければ地球にやって来た意味がない。
善なる存在が善とは反対の経験がしたくて地球に来たのに善なる行為をしては意味がない。
地球では一番悪いやつが一番地球を楽しんでいることにならないか?
まさに価値観が逆転します。
それとも悪を成すためではなく、悪を観光するために地球に来たのか?
というか死後についてハッキリした確信がないのが我々なので、悪を観光しにわざわざ地球にやって来たという風にした方がなにかと都合が良いように思います。
悪を成しに地球にわざわざ来たんだから悪いことをやろう!ってなって法的に裁きを受けたり社会的立場がまずくなってから後悔しても遅いからです。
皆悪に魅力はあるが不幸にはなりたくないからです。
自由を奪われたくないからです。
地球にいる間は地球の制限を受けるからです。

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