洗脳下にある相手に論理で説き伏せようとしても通用しない。相手が依存している仮想空間に強烈な臨場感を持ち、こちらから介入して洗脳者と闘い、そして勝たなければならない:苫米地英人著 洗脳護身術

洗脳下にある相手に向かって、論理で説き伏せようとしても通用しない。
(中略)
相手が依存している仮想空間に、こちらから介入して洗脳者と闘い、そして勝たなければならない。自身がその仮想空間に強烈な臨場感を持たなければならない。

以上を、苫米地 英人 (著)『苫米地英人コレクション1 洗脳護身術』55ページより引用させていただきました。

これをテレビの洗脳に置き換えると、もしテレビと闘うならテレビの作り出した仮想空間にこちら側も強烈な臨場感を持たなければ闘えないことになるがどうなんだろう。

でも確かに洗脳下にある人間はその仮想空間を現実世界だと信じているわけなので、外部から働きかけても無駄なのかもしれない。つまり考える基礎となる価値観が違う。

映画マトリックスで言えば、マトリックスの支配者と闘うためには、頭にプラグを刺してそのマトリックスに侵入しなければならなかった。そのマトリックス内で相手と闘う必要があった。

でもまあ映画というエンタメだからそういう展開にせざるを得ないという面もあるが。

洗脳という観点だけで言えば、洗脳下にある人間のプラグを抜けば良いだけ。
必ずしもマトリックスに侵入する必要はないようにも思う。

でもそれでは本書の趣旨から外れてしまうので、テレビの作り出した仮想空間にこっちも強烈な臨場感を持つにはどうしたらいいのか?

偏向したテレビの作り出すリベラル左翼化した仮想空間にこちら側も強烈な臨場感を持って暮らす必要があるのだろうか?いや本書によればあるのだろう。

ということで、このブログでリベラル左翼側の価値観を発信するのも良いのかもしれない。
そうすればマスメディアも取り上げてくれる可能性も増すしアクセス数も増えるかもしれない。

テレビやマスメディアの価値観から外れるものはポピュラーにはなり難い。
まあ考えれば当たり前のことだ。
だからこそインフルエンサーや金や力を得たい人たちはテレビやマスメディア側に寄り添う。
テレビやマスメディアを利用して便乗すればアクセス数を稼げるだろう。
多数決で決まるこの世の中、テレビやマスメディアの価値観に染まった方が多数で染まらない人は少数派だ。
さらに言えばこういう少数派=マイノリティはテレビやマスメディアは取り上げない。
彼らの利益にならないからだ。
これも当たり前の話だ。
金にならないものは彼らは報道しない。
パラリンピックの様に。

結局のところテレビやマスメディアの価値観で生きた方が楽だ。
だってみんなそういう価値観なんだから気楽に生きられる。
共感を得られやすい。

夫婦別姓制度にはほとんどの人が賛成するだろう。
何十年もかけてそういう世の中になってしまったから。
テレビやマスメディアはまず夫婦別姓制度は正しいという前提から話が始まる。
多様性が持てはやされる時代なのにおかしな話だ。
夫婦別姓制度は間違いであるという多様性は認められない。
始めから価値観が決まっている。
私達には価値観を選ぶ機会がない。

そういう仮想空間で生きているのが私達家畜としての一般人だ。

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