脳を洗うという言葉通り、脱洗脳することも洗脳である。煩悩から自己を解放する自己脱洗脳も「心の染み」を脳から洗う「洗脳」である。:苫米地英人著 洗脳護身術

脳を洗うという言葉通り、脱洗脳することも中立な意味で洗脳である。煩悩から自己を解放する自己脱洗脳も「心の染み」を脳から洗う「洗脳」である。
(中略)
ただ、伝統的に洗脳という言葉が第三者の利益のために行われる脳内情報の操作を示している

以上を、苫米地 英人 (著)『苫米地英人コレクション1 洗脳護身術』24ページより引用させていただきました。

テレビコマーシャルは明らかに洗脳だ。
たった数十秒の動画情報の繰り返しだけで実際にそれを買ってしまうのだから。
テレビコマーシャルは根拠を必要としない。
だってそれがテレビコマーシャルなんだからで済んでしまう。
テレビコマーシャルが俳優を起用して笑顔で何々は何々であると繰り返し言うだけで、視聴者は本当に何々は何々であるかのように思い込む。
たった十数秒の動画情報だけなのに、それが繰り返し繰り返し何度も見せられると、実際にそれが欲しくなって購入する。

教育も洗脳だろうし、社会的な儀礼やマナーも洗脳だろう。
SNSだって洗脳だ。短い言葉の繰り返しだけで、それが本当であるかのように思わせる。
マスメディアは大概、自身もしくはスポンサーの利益のために視聴者や読者の脳内情報を操作するのだから、マスメディアは大概洗脳であろう。

じゃあ世の中で洗脳ではないものってなんだろう?
読書だって絵画鑑賞だって自然を堪能するのだって、ある意味脳内情報の操作といえる。
考えて何らかの決断を行い実際に行動に起す場合、その前段階には何らかの情報を得てその情報によって脳内情報が操作された結果と言えまいか。

洗脳ではないものそれは明らかにそれが本当であるもの。
ほぼ全員の共通認識でそれが本当であると認識されているもの。
としか言えないのではないだろうか。

それが本当であるのなら洗脳の必要性が存在しない。
人はそれが本当であるというだけで躊躇なく行動に移すからだ。
嘘を本当だと思わせる、または、まだそれが確実に本当であると皆が共通認識を持っていないものを本当だと思わる、それが洗脳の持つ本質なのだかもしれない。

本当である真実であるはそれ自体が人の行動原理になり得る。
しかし世の中には本当ではないことやまだ本当だとは決まっていないことをもうすでに決まった本当であるかのように装い人に行動させようとする人たちがいる。
その手段のことを洗脳というのかもしれない。

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