いつの間にか「正しいこと」として受け入れている判断の基準、思考のパターン、行動のルールの一つ一つから、本書を読むことでまず一度自分を解放していただきたい。
以上を、苫米地 英人 (著)『苫米地英人コレクション1 洗脳護身術』19ページより引用させていただきました。
テレビは常に数少ない特殊な例を取り上げる。
その方が注目を浴びて話題性があるし、なにより「テレビは弱い者の味方」をアピールできる。
しかし視聴者の方はそういうテレビを見続けているうちにそれが当たり前に思えてくる。
特殊の一般化である。
かつて同性愛は嫌悪されていた。
当たり前の話だ。
女性が好きな男性にとって、同性である男性との性交渉は気持ちが悪いと感じるのは当たり前だ。
もし気持ちが悪いと感じないのであれば、その男性は同性愛者ということになる。
しかし現在まわりを見渡してみて欲しい。
同性愛を気持ち悪いと考える人はほとんどいない。
むしろみな好意的である。
同性愛なんて当たり前のことになってしまった。
しかし現実には同性愛は数少ない特殊なケースであり、決して当たり前の事象ではない。
このように新しく当たり前を作ってしまうのがテレビの洗脳機関としての役割と考えられる。
テレビが洗脳を通して行う特殊の一般化とは、人々の当り前を変えることである。
そう!実は当たり前というものも絶対的なものではなく相対的なものなのだ。
だから一口に「当たり前に考える」と言っても、それぞれの当り前が違うのだ。
そして当たり前を別の言葉で言えば、「正しいこと」とも言い換えることができると思う。
テレビは正しいことを作る機関とも言える。
なぜみんなテレビの言うことが正しいと思うのか?
その答えはテレビが言っているからとなる。
テレビが言っているからテレビの言うことは正しい。
そういうことになっている。
この背景にはテレビは皆が見ているので、もし間違っていれば誰かが指摘するはずなので、誰も異を唱える人が周りにいなければ、自然とテレビは正しいのだと思い込むのだろう。
さて私の過去の「判断の基準、思考のパターン、行動のルールの一つ一つ」はそのほとんどがテレビドラマや映画の価値観でできていた。
テレビドラマや映画は偽物であって本当のものではないと、当たり前のように知ってはいたが、気がつけば無意識のうちにそれらの価値観で動いていた。
無意識のうちに映画やドラマではこういう場面ではこうだったから現実もそうに違いないと思い込んでいた。
例え嘘でも映画やドラマでイケメンや美女が語ることや行うことは、実際にもそうであるかのようにどこかで思い込んでしまう。俳優や芸能人は自分の親友でもあるかのように思ってしまう。それほど無防備に親しみを持ってしまう。そしてそんな親しい人の言うことや行うことはきっと正しいのだと思い込んでしまう。
悪人が主役の映画を見ているとなんだか悪人の方が正しいと思えて来ませんか?
ドラマや映画において、どうしても映る時間が長くさらに悪い面には光を当てずほんのわずかにある良い面にだけ光を当てるので、なんだか悪人が善人に思えてしまう。悪人がとてもカッコよく見えてしまう。
まさに洗脳です。

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