新聞テレビSNSそして本、何が本当なのか?何が正しいのか?

「本当」の定義とは?
それが事実であることを本当であると定義する。
では事実とは何か?
事実とは実際にそうであるということと定義する。
実際にそうであるとはどういうことか?
自分の目や耳、あるいは信頼のおける他人の目や耳で見て聞いて確かめたことが実際にそうであるということ。
それが本当であるためには確認作業をパスしなければならない。
実際にそうであると確認が取れるから、それが本当とされる。

しかし一方でみんなの共通認識がそうであるから、それが本当であるとされる場合もある。
すべての事実を自分で確認できるわけではない。
物理的に確認できない場合や時間や経済的理由で確認できない場合は共通認識され正しいとされた事実を本当であると信じるのが一般的だ。

あるいは自分の頭で論理的合理的に考えて、それがそうであるのが妥当だと考えた場合、自分の目で確認しなくても、それが本当であると自分の中で処理する場合もあるだろう。

自分の五感で確かめたものは本当であると自分で認識する。
それが一番本当のものである確率が高い。
自分の五感で確認したものは、それが事実である、本当である確率が一番高い。
しかし人間の五感は完全ではなく間違うときもある。
それは経験上大いに言える。

何が本当であるか?
一般的にはテレビが言っていることが本当であるとされている。
あるいはテレビで「見た」ことが本当であるとされる。
実際に自分の目と耳でテレビ越しに確認したのだから、それが本当であると認識するのが一般的だ。

テレビという共通の目と耳で見聞きしたものを、私達は事実である、正しい、と認識している。
多くの人が、テレビという共通の目と耳で、それが事実である、それが間違いではない、と確認作業をしているはずなので安心感も大いにあるだろう。

同じことはSNSにも言える。
多くの人がSNSという共通の目や耳で、それが事実である、それは正しい、と確認作業をしているはずなので、それが事実である、それが本当であると認識している。

何が本当なのか?何が正しいのか?
多数決で決まる場合もあるだろう。
多くの人が地球が平面であると信じていた時代には、地球が平面であるのが正しかった。
しかし現代では多くの人が地球は球体であると信じているので、地球が球体であるのが正しいとされている。
この場合、本当にそうであるかどうかはあまり関係がない。
多数決で民主的に決まるのだ。

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