(全知全能で愛だけの世界である宇宙との違い)を乗り越えた先には相互補完という素晴らしい愛の世界が待っている

(全知全能で愛だけの世界である宇宙との違い)を乗り越えた先には相互補完という素晴らしい愛の世界が待っている

スタントン菜穂さん著『地球大暴露』80ページより引用

全知全能の存在がわざわざ不知不能の存在になりこの地球に来た目的は、楽しむためなのか、純粋に体験への興味なのか、わかりませんが、皆が愛は素晴らしいと言っているのは確かです。

皆が愛を絶賛し愛の存在に憧れるけど、元々は皆が愛の存在ですぞ。
愛を絶賛してどうする。愛に憧れてどうする。
愛とは正反対の経験をしに地球に来たのに。

ひとつの考え方としてはこうですね。
皆が地球で映画やドラマを観るのは楽しむためです。
映画やドラマを観てああ面白かったと満足するためです。
その映画やドラマが最初からハッピーエンドだったら、あなたは映画やドラマを楽しめますか?という話です。

映画やドラマが始まりました。
登場人物は皆聖人です。
皆が悟った人物で、悪をなす人などいません。
愛しか存在しない世界が延々と続きます。
そんな映画やドラマが面白いですか?
皆がイエスキリストやブッダ。
イエスキリストやブッダしか出てこない映画やドラマは面白いですか?
延々と愛に溢れた世界だけが続く映画やドラマは面白いですか?
それは映画やドラマではなくて環境ビデオではないですか?
環境ビデオが需要有るのは悪や闇があるからで、悪も闇もない世界では安らぎを与える環境ビデオでさえ不要です。
愛だけの世界に環境ビデオは不要です。

そーです。
ハッピーエンドは最後にあるからいいんです。
一番最初にハッピーエンドがあってはつまらないのです。

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