私はどうやら愛国心という言葉は嫌いらしい

愛国者、愛国心。
巷で一般的であるリベラル思想のせいで愛国という言葉に違和感を感じていたのではなく、ただ単に私は愛国心という言葉が好きでなかったようだ。

何故かと考えてみた。
愛国心という言葉には国を愛することを強要されるニュアンスを感じたからだ。

日本国という国家があるから国民は他国からの侵略を免れて平和と安全を享受している。これは事実である。

国家体制が崩壊すれば他国にたやすく侵略され日本民族の人権は踏みにじられる。

日本国民が日々安全で平和な暮らしが出来るのは国家のおかげだ。
だからその点では感謝するが、国を愛することを強制されたくはない。

もし国が国家を愛することを強制する時が来たら、それは危険な段階に入ったことを意味する。国家が国民の意思を無視する状態に入ったことを意味する。

自主的に国を愛する愛国者には異存はないが、国に愛することを強制されるような愛国者にはなりたくない。

ちょっと油断するとまったく逆方向に向かってしまう愛国者という危険なワード、それが私が愛国者とか愛国心に抱く違和感の正体なのだろう。

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