始まりはテレビから何度となく流れてきた「日本死ね」という言葉だった。
それまではテレビにあまり不信感はなかったが、あの日から私のテレビ離れは始まった。
と同時に保守とか愛国者のSNSを多くフォローするようになり一時は保守とか愛国に傾きかけたが、保守と言われる人のうちのいわゆるネトウヨと呼ばれる人の自分に対する攻撃的な言葉で傷つき保守に失望し、次第に保守とは距離を置くようになった。
次に興味を持ったのは陰謀論は真実だとする人たちだった。
そういう人たちの投稿を毎日読んでいるうちに陰謀論はすべて本当だった!というような気に少しはなったが、コミュニティーノートやネット上にある陰謀論に関する記事を読んで、事実に基づく陰謀は陰謀論とは呼ばず単に陰謀と呼ぶんだろうなと思うようになった。
「陰謀は存在するが陰謀論は存在しない」そう考えるようになった。
誰にも認められないという欲求不満を解消するかのように、いろいろ過激な投稿や問題提起になる投稿をしてみたが、一切相手にされずブログも誰にも読まれず、そんな状況が長く続きようやく最近自分の道はそこにはないと気づいた。
なんの力もなんの情報網も支援者もフォロワーも友達も知り合いもコネも金もない私が日本を変えることなど出来るはずがないという当たり前に気づく。それまでは正しい情報さえ流していればいずれは認められるだろうと考えていた。だがしかしそもそも自分の情報が正しいのかさえ分からない状況であるのが現実で、せいぜい推論を述べることしか私にはできない。
政治家でも総理大臣でも大学教授でもジャーナリストでもない私の言うことなど誰も耳を傾けないのは当たり前の話だ。逆の立場になって考えてみたらわかる。
人は何を言っているかではなく誰が言っているかを重要視する。
これが紛れもない真実だ。
ということで私はすべてをエンタメとして楽しむことにした。
そのほうが何かとメリットが大きい。
第一気分が良い。
他人の投稿に対して過剰反応することがなくなった。
他人に対して批判的な目を向けることがなくなった。
政治はエンタメだ。陰謀論もエンタメだ。
Xはエンタメだ。ニュースもエンタメだ。
もちろんテレビは最初から最後までエンタメだ。
なんの力もなく、ノンインフルエンサーの私にとってこれが一番ふさわしいポジションだ。

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