有名だから新聞テレビに出るんじゃない。
新聞テレビに出続けるから有名人になるんだ。
だから新聞テレビから干されると有名人のステージから転げ落ちる。
新聞テレビがその人を報道しなければみんなから忘れ去られてしまう。
どんな人間であっても毎日のようにテレビに出続けていれば見ている方には親しみがわく。それが人間の性質というものだ。
つまり、私だって、あなただって有名人になれるということだ。
そしてこれこそが、公然と新聞テレビの悪を糾弾できない理由だ。
新聞テレビを批判したり糾弾したりしたら、有名人の座から転落してしまう。
新聞テレビに否定的な人は決して新聞テレビは取り上げてくれない。
皆はそれを恐れて新聞テレビの悪を指摘することさえできない。
そう!新聞テレビは有名人を作り出す装置だから。
そして!誰もが有名になりたいと思っているから。
新聞テレビはあまり認知されていない特殊な思想や話題ばかりを取り上げる。新聞テレビの根底には広告塔という使命があるからだ。
新聞テレビの役割は有名でないものを有名にすることにある。
たとえば今ならジェンダー平等だ。
ある日を境に突然皆がジェンダー平等、ジェンダー平等と唱えだす。
それまでそんなことを口にしたことなど一度もないのに。
あまり知られていない特殊な考えであるジェンダー平等をこのように見事に一般化させてしまった新聞テレビの力は強大だ。
だからこそ新聞テレビは堂々とダブルスタンダードで居られる。
新聞テレビは有名でないものを有名にするパワーと特権を持っているのだ。
もうすでに有名なものを新聞テレビで取り上げても宣伝にはならない。
有名でないものを新聞テレビで取り上げて有名にするから新聞テレビには価値がある。公平な報道は二の次であるのは明らかだ。
新聞テレビの本質は、有名でないものを有名にすること、特殊なものを一般化すること、つまり新聞テレビはすべてがコマーシャルだということだ。