民主主義とは民に主権がある主義のことです。
民に主権があれば当然物事は多数決で決めることになります。
民は多数決で決まったことには納得するからです。
しかし多数決で決めると少数の意見は通らなくなります。
これが民主主義の欠点です。
ですが、100人いて100人全員が満足する回答は不可能に近いことにも多くの人は同意するでしょう。
100人いて100人全員が満足する回答は常に提出可能だという少数の人もいるかもしれません。
でもここですでに、全員が満足していない回答が存在してしまっているという矛盾が生じます。
少数派の存在自体が100人いて100人全員が満足する回答は不可能であると証明してしまうのです。
民主主義における多数決で、多数派が少数派を尊重することは大切なことです。
これにも多くの人は同意するでしょう。
一方で反対する少数派もいるでしょう。
この誰もが認める「多数決における少数派への尊重」がいつの間にかに「配慮」に変わってしまった。
もちろんテレビなどによる洗脳によってです。
多数派が少数派を「尊重する」のは自主的なものですが、多数派が少数派に「配慮する」のは強制的なものです。
これは男女公平は各自の自主性を重んじるのに対して男女平等は一律強制的なものであるのと同じです。
真の支配者は、多数決において少数派を尊重することに多くの人が同意するのだから「多数派は少数派に配慮すべき」と本来自主的に行うべきものを強制的なものに変えてしまったのです。
この洗脳によって誰が得をする?で考えると
一番得をするのが富と権力を持った同じ少数派である真の支配者で、一番損をするのが奴隷的立場にあるその他大勢ということになると思います。
真の支配者の指定する少数派に対して配慮しないとどういう目に遭うのかを日々テレビは報道し、私達奴隷は自らが自らに対して行う迫害を怖れ自ら真の支配者に従うようになります。自ら不利になることを何の疑問も持たずにやるようになります。
少数派に配慮して多数派は我慢すべきなのは人として当たり前であると考えるようになるのです。
少数派当事者からの要望もないのに、テレビが言っているからという理由だけで、自分たちが不利益をこうむるのに喜んで自ら進んで少数派を配慮してしまうのは、洗脳ではないでしょうか?

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