都会(リベラル)の人は差別はいけないと良く言います。
しかし内心は田舎を見下しているのは明らかです。
言葉では差別はいけないと言いつつも心では田舎を差別している。
それが都会人(リベラルの人)です。
都会の人は自分の生命を維持するための食糧や住居、衣類について自分は何もしません。
お金を払えばそれらが簡単に手に入るからです。
お金と交換に食べるものや住む場所そして衣服を手に入れることができます。
なので都会人は農作物を育てることも家を建てることも服を作ることもしません。
お金を払えばいつでも食べ物と住む場所と着るものを手に入れることができるので、いつしか都会人は食べ物や住む場所そして着るものを作っている人がいることを忘れてしまいました。
自分以外の誰かが食べ物を作り住む場所を作り着る服を作っていることを忘れてしまいました。
そして都会人はそれらを作っている人を底辺にいる人間だと差別しています。
自分とは関係のない存在だとみなしているのです。
口ではいつも差別反対を唱えているのにです。
彼らがいないと都会人は死んでしまうのにです。
いくらお金を持っていても食料や住居そして衣類を作りそして売ってくれる人がいなければ都会人(リベラルな人)は死ぬだけです。餓死です凍死です。
まあ実際今現在は金さえ払えば額に汗しなくても食料や住居そして衣類をいくらでも手に入れることができます。そんな暮らしをしていれば額に汗して食料や住居そして衣類を作っている人を馬鹿にするのも当然なのでしょう。そしてそれが人間の本性です。
天変地異や戦争が起こり自分自身の手で汗を流して食料や住居そして衣類を手に入れなければならない事態になって初めて、それらを作っている人がいてそれらを作っている人がいるからこそ都会の人たちは衣食住に困らないのだと初めて気づくのでしょう。
それが人間と言うものです。
