物理的に実在しているかどうかはどうでもいいのだ。相手の心に存在させることができるならば、その神は存在しているのだ。:苫米地英人著 洗脳護身術

物理的に実在しているかどうかはどうでもいいのだ。相手の心に存在させることができるならば、その神は存在しているのだ。

以上を、苫米地 英人 (著)『苫米地英人コレクション1 洗脳護身術』50ページより引用させていただきました。

本当に地球が球体かどうかはどうでも良いのだろう。
フラットアースを信じる人たちにとっては、自分たちの心の中に存在しているフラットな地球が現実的な地球であり、そういう意味では平坦な地球は確かに存在している。

神の存在証明は不可能。
それゆえに現在も宗教は存在している。

本当に神が存在するかどうかはどうでもよく、自分たちの心の中にさえ神が存在すればそれでいい。
そう!神の存在証明は不可能。
逆に言えばどんな神でも心の中には存在して良いことになる。

神が存在するかどうか誰にもわからない。
でも誰にもわからないからこそいろんな神が否定されず生き残ってきた。

本当に神は存在するのかどうか分からないがゆえに宗教はこれまで生き延びてきた、と言えば大げさだろうか。

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