いやそれは違うでしょ。
だってこうこうこうだから違うよって反応したい時期もありました。
だけどそれを堅く信じている人は他人の意見は受け入れません。
そもそも他人に左右されないからこそそれを信じているわけです。
それに確かな根拠がありそれが確実に存在するなら信じる必要はありません。
信じなくてもそれが存在するのが明白だからです。
人はそれが存在すると確定していないからこそ信じるわけです。
存在が確定しているものを信じることはできません。
信じる必要がないからです。
存在が確定しているものは事実と言われます。
逆に言えば事実じゃないかもしれないから信じるわけです。
自分の五感を使って認識したものは事実と言えるでしょう。
でも自分の五感を使って直接認識したもの以外は事実ではない可能性があるので信じるという行為が必要になってきます。
アメリカに行ったことがない人にとってアメリカの存在は自分の五感を使って認識していないので事実ではないかもしれません。しかし自分がそれまでに接したいろんな情報から論理的合理的に考えてアメリカは存在すると信じて普段の生活を続けます。
月に人類が到達したかどうかも同じです。
自分は月に行って五感で月を認識した事実がないのでメディアや他人の意見を参考に論理的合理的に考えて月に人類が到達したのは事実であろうと信じて毎日を生きています。そしてそれが私の現実です。
自分自身で五感を使い認識したもの以外は自分の頭で考えてそれが事実であろうと信じたものばかりです。私たちは五感で認識した世界にプラスしてそういう自分が事実であろうと信じた現実で生きている。そう考えると私たちはほとんどの時間を自分の信じた現実で生きていることになる。
つまり信じたことが自分にとっての現実になる。
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