世界はもうすでにマイノリティ(少数派)優先でマジョリティ(多数派)は差別の対象になりました。
大きな駐車場ではマイノリティである車椅子を利用する人が優先的に車を停めることができ、その他大勢のマジョリティは差別され、そこに車を停めることはできません。
テレビでは当たり前のように手話通訳が画面を賑わせていますが、手話通訳を必要とする人の数は多くありません。その一方でその他大勢の利便性をテレビが考慮することはありません。テレビではその他大勢(マジョリティ)は差別の対象なのです。
テレビが取り上げるのは常に、ジェンダー平等、LGBT、障害者、日本国内に住む外国人、アイヌ民族、動物の話題などなどマイノリティあるいは弱いものとされるものの話題だけです。
マジョリティの話題は差別されているので報道されることは滅多にありません。
民族では、国内の少数民族が優先され多数民族である日本人は差別の対象です。
性別では、弱者である女性が優先され男性は差別の対象です。
性的趣向では、マイノリティであるLGBTが優先され異性が好きなマジョリティ(多数派)は差別の対象です。
肉体的には、弱者でありさらにマイノリティである障害者が優先され強者でありさらにマジョリティである健常者は差別の対象です。
年齢的には、マイノリティである若者優先でマジョリティである中高年齢者は差別されます。
生物の種別では、弱者側である動物が優先され人間は差別の対象です。
以上のように国内の少数民族、女性、LGBT、障害者、若者、動物などなどは、主導権を持っているマイノリティーや弱者側なのです。
主導権を持っている側が、差別する側になり、ダブルスタンダードを行使できる側となるのは理解できると思います。
逆に言えば、差別する側、ダブルスタンダードを行使できる側が、主導権側、権力側ということです。
いまの世の中を見渡してみてください。
マイノリティーとマジョリティー、これらのどちらが差別をしている側か、もしくはダブルスタンダードを行使している側かを。
最後になりましたが時代の主導権を得るための最大のキーは何でしょう?
そう時代の拡声器の役目を果たしている新聞テレビであるのは言うまでもないでしょう。