もしそれが将来的真実であっても、なんら確証なく、何も事実の裏付けがないのであれば、私は思い込みや妄想と定義している。
そういう意味でSNSは思い込みと妄想であふれていると私は思う。
もしそれが真実であるのなら思い込みや妄想でもいいのではないかという人もいるかもしれないが、それは結果論であると思う。
結果的にそれが未来において真実だと断定されるかもしれない思い込みや妄想であっても現段階ではそれは思い込みや妄想であってそれ以上でもそれ以下でもない。
物事は証明されて初めて真実となる。
証明のされない事実の裏付けのないものはたとえそれが将来的に真実であると証明されようとも現在においては思い込みや妄想の類である。
思い込みや妄想自体が真実の裏付けとなることはない。
思い込みや妄想はたとえそれが未来において正しくても現在における証明なくば思い込みや妄想のままであり真実に格上げされることはない。
証明されなければ物事は真実とは言えない。
真実とは共通認識のことである。
みながそれを真実だと共通認識していなければそれは真実ではないのだ。
共通認識のない私的な物事は思い込みや妄想と私は定義する。
真実とは事実として証明された共通認識のことである。
ゆえに真実とはとても民主的なものなのである。

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