みんなが自分と家族の命と健康を第一に考えれば結果的に世界は平和になる

切実に命を損なう恐れがあるときや健康を失った時でないと人間はその価値に気づかない。
人間にとって一番大切なのは自分の命と健康であり、家族は自分とほぼ同じ存在だ。
家族は自分であるとも言える。

本来人間にとって一番大切なのは、自分と家族の生命と健康であるはずなのに、今の世の中はそうはなっていない。
時に人命より人権、時に人間の命より動物の命、時に多数の意見より少数の意見を尊重してしまう。
なぜ尊重してしまうかというと人間にはエリート意識があるからだ。
人間は他人より自分が優れていると思うと気分がいいという特色がある。
別に客観的に自分が他人より優れているかどうかは関係がない。
あくまでも自分がそう思えれば気分がいいのだ。

人権を最優先に考える自分は進歩した優れた人間である、他人とは違うのだ、といい気分になれる。
動物の命でさえ尊重する自分はなんて優れて優秀な人間なのだろうといい気分に浸れる。
大多数ではなく少数にさえ目を向けて尊重できる自分はなんてエリートなんだろうと思える。
エリート意識の代表格、エリート意識の塊がテレビであるので、テレビには常にエリート意識のシンボルとして動物愛護が出てくる。
彼らにとっては、動物を人間並みに扱えるかどうかがエリートとそうでない人との違いなのだろう。

そしてエリート意識の最大の特色が、何の根拠もなく、自分だけが唯一正しく公平であると思っていることだ。それがエリート意識のエリート意識たる所以であろう。

以上の様に、エリート意識が世界を支配していれば、世界は平和にならないのは当たり前だろう。
自分だけが正しくよって正義側である自分が他人を正してやろうという世界から戦争はなくならない。
相手も同じことを思っているからだ。

シンプルに考えれば答えは自ずと出てくる。
自分と家族の生命と健康以外はどうでもいいことだと。
自分と家族の命と健康以外のことは趣味でやればいいのだと。
自分と家族の命と健康以上に大事なことはこの世に存在しない。
それをみんな忘れている。
何故かというと命と健康が当たり前になり過ぎているから。
健康で生きることが当たり前に出来ているとみんなが思っているからだ。
実際健康に生きている人の方が圧倒的に多い。
圧倒的に多いので、それが当たり前に思ってしまう。
健康に生きるのが当たり前なのでそれらが空気のようになってしまい有難みを失い、人権や動物や世の中の可愛そうな人に意識を割くことが素晴らしいことの様に思い込んでしまう。
優先順位を間違えてしまうのだ。
普段大勢の人は健康で安全なので、それらの存在を忘れてしまい、人権や動物やマイノリティの方が自分の生命や健康より大切に思ってしまう。
そして自分が病気になったり自分の死を間近に感じるようになって初めて、いやいや、自分と家族の命と健康以外に大切なものはないと気づくのだ。
人権や動物やマイノリティのことは、自分と家族の生命と健康の要求が充分満たされてから趣味としてやればいいのだと気づくのだ。
そして自分と家族の生命と健康が一番大切であると気づけば、それらが他人にとっても一番大切なものだと自分のことのように実感できる。
結果世界はもはや戦争ができなくなる。
一番大切なものを失うことなんて出来ないからだ。
一番大切なものを失ってまでも手に入れたいものなどこの世にはないと分かるからだ。

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