このドラマを観る限りでは戦争のない平安時代から戦争のある戦国時代へと時代が流れたのは「人々が武装をしたから」である。
そのきっかけは他国による侵略だったかもしないが、武力は権力であると人々が気づき武力を行使することにより世は戦国時代へと流れていく。
ドラマ「光る君へ」では極力武力を行使することなく権力闘争が行われていく。
人々が武力でもって人を殺し合いながら権力闘争をするのは愚かであると分かっているからそのほかの手段を使い武力闘争をした。
しかしドラマ終盤にかかり日本以外の他国から攻められた場合、自分や自分の家族を守るためには武力を行使するしか道はなかった。相手は話の通じる相手ではなく相手を殺さなければ自分が殺されるという状況であった。
日本という国が一つの権力のもとに統一されればもう戦争の必要はなくなる。
しかしそこに他国の武力による侵略という要素が加われば戦争によって侵略を喰いとめるしか手立てはない。
しかし国を統一している権力以外に戦争可能な武力という権力が生まれるとその武力をもってして権力闘争が可能となってしまう。このようにして平和は危うくなる。
次人間の本質について考えてみたい。
このドラマにおいて藤原道長は世のため人のためを目指す人物として描かれている。
そして道長に対抗する勢力の行動原理は家のため自分のため自分の家族のためであった。
人間の本質において人間が一番大切に感じているのはまずは自分の命そして家族の命だ。
これは人類の歴史においてずっと変わらないだろう。
では道長とそのほかの人物とで何が違うから目指すものが違うのだろう?
それは自分が自分とその家族の命を一番大切に思っているのだから他人もそういう思いを抱いているだろうと他人のことを自分のことのように思えるかどうかの違いだ。
自分と家族の命が一番大事だと思うのは誰でもできるが、他人もまた自分と家族の命が一番大事だと思っていることに気づけるかどうかその違いだと思う。
ここが決定的な違いとなる。
ここが単に自分のためお家のためと世のため人のための分かれ目となる。
自分のため家族のために行動するのは誰にでもできるが、世のため人のために行動する人は少ない。
その違いは他人もまた自分と同じように自分の命と家族の命を一番大切に考えているという理解だ。

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