思想、主義、宗教自体が正しくても、解釈の仕方次第では、行いを間違える場合もある

少なくとも民主主義のもとでは、特定の権力に(思想、主義、宗教の)プリンシプルの解釈権が集中するのは、国民の大半が支持するからである。怖いのは、国民の大半の支持が何らかの洗脳的手法により、その解釈が正しいと思わされている場合である。

以上を、苫米地 英人 (著)『苫米地英人コレクション1 洗脳護身術』11ページより引用させていただきました。

今現在世界各国で行われているのがこれだと思う。
たとえ思想や主義、宗教そのものが正しいものであっても、それを間違って解釈してしまえば、間違った行いとなる。

もし故意に違う解釈を行い、その解釈を行ったものに強い権力があれば、そしてマスメディアに強い影響力を持っていれば、その権力者は如何様にもその他大勢をコントロールすることができるように思う。

人は何故、思想や主義、宗教の解釈を自分でせずに他人に依存してしまうのか?
自分では理解できないからというのもあるだろうし、その解釈の方が自分にとって都合が良いというのもあるだろうし、そもそもみんながその解釈にしたがっているのだから自分もというのもあるのだろう。

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