「正しい」思想、主義、宗教であっても、国民の圧倒的大多数が信じることが危険なのは:苫米地英人コレクション1 洗脳護身術

「正しい」思想、主義、宗教であっても、国民の圧倒的大多数が信じることが危険なのは、そのプリンシプルを具体的な事象に適用するときに、プリンシプルの解釈の権限が一つの政治的権力に集中するからである。

以上を、苫米地 英人 (著)『苫米地英人コレクション1 洗脳護身術』10ページより引用させていただきました。

真実ってなんだろうと考えた時、あるいは正しいってどういうことだろうと考えた時、それは本質的には多数決で決まるんだと思う。

圧倒的に明確にそれが真実で正しいなら、真実で正しいことの根拠が明確で誰にでも理解が出来てしかもいつもその正しさを確認できるなら、多数決でそれが正しい真実だと決まるだろう。

しかしもしその理解の仕方自体が間違っていたり、理解するための能力が不足していれば、本当はそれが間違っているかもしれない。

しかしたとえ間違っていたとしても皆の共通認識がそうであれば実用上は問題は起きない。
つまり多数決によって出来上がった確固たる共通認識が私たちの物事の正しさとなっている可能性が高い。

もし実は地球は平面であったとしても、多数決によって出来上がった共通認識は地球球体説なので、日常生活上まったく問題は生じない。

このように真実が客観的に確かに存在していても、それは実用上の真実とは無関係になってしまう。
実用上の真実は、どれだけ多くの人がそれを信じていて、共通にそれを認識しているかによる。

実用上の真実は常に多数決による共通認識がつくる。

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