この世で一番大切なのは命。
順番から言うと、自分の命、そして家族の命、同じ民族の命、そして同じ種の命、最後にすべての命。
命がなぜ一番大切かというと、命は仮想現実ではなくリアルだからだ。
命は確実にリアルであり失うと二度と取り戻すことができないという究極の希少価値がある。
生まれた以上生きることがこの世のすべてである。
生きること以外はおまけのようなものだ。
まず生きること、これが揺るがない大前提。
次に幸せに生きるということ。
どうせ生きるなら気分よく生きたいものだ。
病気になれば気分は良くない。
生きているなら気分よく生きたい。
となると気分よく生きるために人は生きるとも言える。
人が気分よく生きているのなら他にもう何も要らないだろう。
それだけですべて満たされている。
何一つかけているものはないのである。
しかしこれには問題がある。
人が満たされてしまえば、物が売れない。
儲からない。権力に従わない。権力に従う必要性が薄れる。
そういう支配者側の問題がある。
よって世の中は常に人が満足しないように設計されているし、権力に依存するように設計されている。
それはもちろん金と権力によって世の中を支配するためだ。
他人を支配するのは気分がいいのだ。
そのための手段として金と権力はとても有用である。
逆に他人に支配されるのは気分が悪い。
なので支配する側は支配に気づかないように気をつける。
不満が自分達に向かないようにするのは当たり前のことだ。
地球にはもうすでに金と権力を手に入れた支配層と、金と権力のない被支配層がいる。
支配層は数が少ないのでマイノリティだし、被支配層は数が多いのでマジョリティだ。
本来力関係で言えば数の多い方が強いのだが、金と権力に物を言わせマイノリティの方が力が強くなる構造に世の中がなっている。
金と権力を持ったマイノリティの方が強いという社会構造が変わらない限り、被支配層であるマジョリティは支配されることから逃れることはできない。
ただし金と権力を持った支配層であるマイノリティが強者でいられるのは、被支配層であるマジョリティが金と権力に強く価値を置いている場合のみである。
金と権力で支配しているのだから、金と権力に屈しない人間は支配できないのだ。
ここがポイントだ。
もうすでに膨大な金と権力を手に入れている集団に対抗するのに、被支配層であるマジョリティが金と権力で対抗するのはかなり絶望的だということだ。マラソンで実力者がかなり先を走っているのに平凡な記録しか出したことのないランナーが今からスタートして追いつけるはずがない。
金や権力に依存しない価値観をあらたに見い出すか、そもそも競争や他人と比べることをやめることだ。金や権力に過度に依存せず、競争や他人と比べることをやめると、真の自由を手に入れることができるはずだ。反撃はそれからだ。

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