本来、イスラム教やキリスト教は平和な宗教である、それがテロを起こしたり、戦争を起こしたりするのは、十字軍の時代からプリンシプルを具象へと適用する解釈権が、政治権力に集中してきたからである。
以上を、苫米地 英人 (著)『苫米地英人コレクション1 洗脳護身術』11ページより引用させていただきました。
聖書にはハッキリと人を殺してはいけないと書いてあるのに、その解釈によっては、人を大量に殺すことに正当性を与えてしまう。
まさにこれこそ洗脳だと思います。
だって普通の頭で当たり前に考えてみてください。
聖書には人を殺すなと書いてあるのに、その聖書を信じている人達が人を殺している。
聖書をどう解釈するかによって特定の人を殺すことが可能になる恐ろしさ。
まさに洗脳です。
小学生でもたぶん分かるのではないでしょうか?
聖書には人を殺してはいけないと書いてあります。
しかしその聖書を信じる人達が人を殺しています。
これは正しいことですか?
さて、小学生たちは何と答えるでしょう?
そもそも聖書には人を殺してはいけないと書いてあるのに、解釈によって人を殺すのが正当化されるのであれば、聖書には存在意義がないと思います。だって聖書に書いてあることを本当は信じていないのですから。解釈によって白が黒になるなら真理が書いてあると言われる聖書って要らないでしょ?
いや違うんだ!何の専門知識もないお前が偉そうに言うな!というかもしれませんが、ここにある人がいてその人はBという宗教を信じています。そしてBという宗教の経典には人を殺していけないと書いてあります。その人はBという宗教を信じていて経典にも人を殺してはいけないと書いてあるのは知っていましたが、その人は独自の解釈をして特定の殺人を宗教上正当化し実際に人を殺してしまいました。さて、その人が正しいですか?

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