最近ネットで見つけた記事で美談の様に取り上げられていたのが、コンビニで一番店員に好かれる客は何も買わないで店から出て行くお客というのがあった。
コンビニの商品を補充中に客が会計に来られると腹が立つので、むしろトイレだけ利用して何も買わないで出て行く客の方がコンビニの店員には好かれるとのこと。
そして経営者と労働者ではこんなにも物の見方が違うのだと講演の中でいつもとりあげるんだとか。
この話に何の違和感も感じないのなら、あなたは洗脳されています。
この話は終始コンビニの店員の目線で話が進行しており客側の視点が欠如しているからです。
コンビニは客が物を買うところであり、コンビニの店員の一番大事な仕事は物を並べることではなく物を売ることです。
しかし記事を書いている人もまったくそれに違和感を感じていない。
むしろ商品を補充しているコンビニ店員に配慮することに気づいた自分はいい人間だという視点になっている。
もしこの話がテレビの話題にでもなったら、コンビニで商品を補充している店員に配慮しない客はとんでもないやつだ!もしそれが政治家なら政治家の資格などない!となる可能性が高いです。
だってこれほど極端ではないけど、今は特定の少数派に配慮しない人間は悪人であるという時代です。
それが当たり前の時代です。そのようにみんなの当たり前が洗脳されてしまったのです。
常に少数派の目線で、そして少数派の立場で考えることが民主主義であるというのが多数派の総意であると皆が洗脳されています。
多数派の目線や多数派の立場は無視されているという不平等さや差別に誰も違和感を覚えていません。
ここで言う誰もとは「テレビのワイドショーのコメンテーターの意見」と言い換えても良いかもしれません。
現代社会の問題点の一つは知らないうちに皆が、「誰もがそう思っている」と「テレビのワイドショーのコメンテーターの意見」または「テレビが言っていたこと」がイコールになっている点です。
自覚なしにテレビが言っていることが民意になってしまっているのです。
民主主義とは民に主権があるから、なるべく多くの人が幸せになるように多数決で物事を決めようねという主義でした。過去形です。
今の民主主義は、特定の少数に主権があるから、特定の少数が幸せになるためには多くの人がちょっと不幸になっても仕方ないよねって主義です。
民主主義において多数派の民から主権が消失してしまったのです。
特定の少数派の幸せのためにその他大勢である多数派が犠牲になるのは多数派自身にとっても良いことなんだよそれがいい人間のすることなんだよと洗脳されてしまったのです。
その理由は、少数派である真の支配者たちにとって都合が良いからだと考えられます。
多数派が常に少数派の身になって考えることは、少数派である支配層にとって、とても大きなメリットがあると考えられます。
多数決主義に基づく民主主義において多数派が少数派を尊重して少数派を思いやることは良いことですが、多数派が少数派を配慮して少数派の利益しか考えなくなったら、それは洗脳です。だってそれは特定の少数派の為にはなりますが、みんなの為にはならないからです。
みんなの幸せを目指さないで特定の少数の利益だけを目指すのがいい人間だという考えは、私達の本心ですか?もし本心でないのならそれは洗脳ではないですか?
自分達みんなの幸せを目指さないで誰かが決めた特定の少数の利益だけを目指すのがいい人間だと本気で思っている人は誰かの奴隷だと、私は思います。

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