都会は特に物事の本質に基づかなくてもやっていける。
何故なら都会に自然は乏しいからだ。
田舎は自然相手なので物事の本質に基づかざるを得ない。
いくらヒグマとの共存を思考しようがヒグマの方が圧倒的に強いという事実は覆らない。
田舎では人間がヒグマに共存させてくださいと頼むしかない。
人間とヒグマは対等ではないからである。
ヒグマの方がすべてにおいて能力的には人間より上である。
田舎で米を生産する場合自然相手になる。
自然相手なので思想でどうのこうのできる相手ではない。
雨は降るべきだと思考しても日照りに雨は降らない。
台風は逸れるべきだと思考しても台風は言うことを聞かない。
都会は米を消費するだけだ。
都会において米を生産する必要がない。
都会は米は生産しないので自然を相手にしなくても済む。
自然相手ではないので思考でどうにでもなるのが都会だ。
常に強い相手の思想が優勢となる。
そこに物事の本質は必要としない。
都会は自然相手ではないので物事の本質はどうでもよく、その他もろもろの力関係で物事が動いていく。