世の中というのは必ずしも真実とか正しさを求めない

私は今まで真実とか正しさを一番に考えて生きてきた。そして自分がそうなので当然他人もそうだろうと思って今まで生きてきた。しかし他人はそうではなかった。口ではもちろん真実とか正しさを求めていると言うだろうが実際は真実とか正しさというのは常に二の次であった。

世の中というのはパワーバランスによって動いている。
レジ袋を減らすにはレジ袋を有料化するというパワーが必要だ。
レジ袋が有料になったからみんなレジ袋を利用しなくなった。
それは決して地球環境のことを考えてではなくレジ袋が有料になったからだ。
これが世の中はパワーバランスによって動いているということ。

そこに何らかのパワーが加わらない限り人は動かない。
正義とか真実とかでは人は動かない。
いや正確には正義とか真実とかで動く人はマイノリティだ。
数が少ない。

外から強制されるか外に影響を受けて動く人がほとんどでありそういう人はマジョリティだ。
圧倒的多数はテレビの言うとおりに動く。
マスクが解禁になってもテレビがマスク解禁でもマスクをしますという人を多く放送しそしてマスクをした大群をテレビに映し出すのでテレビの言うとおりに動くマジョリティは依然とマスクをし続ける。

マスクの真実とはマスクで自分が新型コロナに感染することは防げないがマスクをすれば自分が他人を感染させる確率はいくらか減るこれが一貫してテレビが言って来た事実だ。しかしテレビはマスクで感染が防げない事実をあまり報道しない。そこにどういうパワーバランスが働いているのか私は知らない。

マスクは自分の感染を防げず他人に感染させるリスクはいくらか軽減させるという真実を世の中は求めていない。世の中が求めているのはマスクで自分が感染するのも他人を感染させるのも両方可能という設定の方だ。その設定の方が誰にとっても都合が良いのだろう。その方がみんなが安心できるのだろう。

話がずれたが、政治は真実や正義には基づかない。政治は感情に基づく。
特定の誰かの感情を満足させるパワー(強制力)を生み出すのが政治だ。
政治は真実や正義は求めない。
真実や正義というのはたった一つしか答えがないので、議論のしようがない、そこに政治は必要ないのだ。見方を変えれば唯一の真実や正義にあらがって特定の誰かの感情を満足させるのが政治の役目とも言える。当たり前に逆らうのが政治の役目ということだ。

人として当たり前のことをみんなが実践できれば世の中に政治も警察も要らない。
人として当たり前の尺度でみんなが生活すればいいだけだ。これが真実だ。

政治は唯一存在する真理や正義にあらがって特定の誰かの感情を満足させるためにある。感情と感情のぶつかり合いが政治である。政治に理性は存在しない。政治に存在するのは感情である。感情を裏付けるための理性しか存在しない。感情が先にあり理性が理由を後付けする。

感情を満足させるのが他人を動かすことのできるパワーである。
パワーによって他人を動かして初めて感情は満足する。
そのパワーを生み出すのが政治だ。
具体的には法律というパワーを政治家が生み出す。

誰かがLGBTは気持ち悪いとオフレコで言っただけで法律というパワーが生み出された。
そこに何の真実もないし正義もない。そこにあるのは誰かの感情を満足させるパワーすなわち強制力すなわち法律という政治的パワーの誕生。

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