私の理解では民主主義とは多数決原理で物事を決めることがみんなの幸福につながるという思想。
逆に共産主義とは秀でた少数が物事を決め、その他大勢がそれに従うのが幸福であるという思想。
リベラル=左翼のやっていることを見れば分かるように、彼らの信じている思想は多数決原理の民主主義ではなく秀でた少数こそが物事を決めるべきであり愚かな大衆はそれに従うべきだという共産主義に近い。
その証拠が選挙結果の否定である。
彼らは多数決原理によって決められた選挙結果に異を唱える。
さらには彼らの大好物はデモである。
デモと言うのは多数決で決まったことに対して少数が抗議する手段である。
民主主義国家においては多数決で決まったことが不満だからデモをするのである。
民主主義国家においてはデモをしなくても多数の意見は通るように出来ている。
民主主義国家においてデモをするのは常に少数派と言うことだ。
多数派は選挙によって多数決で決めることが出来るのでデモをする必要がない。
リベラル共産主義者に乗っ取られた新聞テレビは常に政府を批判する。
政府に批判的な人を探してきては報道。
政府の政策によってネガティブな影響を受けた人だけを探してきて報道。
新聞テレビの結論はいつも政府が悪いなので、それらを見る必要がないほどだ。
私はつい最近まで新聞テレビの政府批判は、ガス抜きだと思っていた。
国民の不満を新聞テレビの政府批判によって和らげる算段であると思っていた。
政府批判だけをやっていれば、新聞テレビの読者や視聴者から文句が出ることはない。
責任を全部政府に押し付けて責任転嫁をすればみんなが良い気分になれる。
政府批判によって気分を害する一般人は滅多にいない。
なので新聞テレビは常に政府批判すると思っていた。
しかし最近はさらに一歩踏み込んで、彼らは共産革命を目指しているのではないかと仮定してみた。
するとなんと新聞テレビ、さらにはリベラル主義者の行為に、より合点がいくようになったではないか。
リベラル主義者と新聞テレビはリベラル主義と言う共産主義によって日本政府を打倒して革命を起こしたいのだと仮定すると物事がより鮮明になった。
リベラル主義者と新聞テレビが指導者と仰ぐ集団は何なのか私は知らない。
しかし彼らの目指している世界は見える。
マイノリティ絶対優先の世界だ。
マイノリティに対してマジョリティは何も言えない世界の実現だ。等
今でさえ、少数派すなわちマイノリティが主張するLGBT問題や、ジェンダー平等、アイヌ差別等に対して多数派すなわちマジョリティは何も言えない。
少数派すなわちマイノリティの意見だけを新聞テレビは取り上げ多数派すなわちマジョリティの意見はほぼ取り上げない。
結果的に政治はマイノリティ優先で動くことになる。
新聞テレビをプロパガンダの武器として使い大衆を誘導し、新聞テレビの報道圧力によって多数派の意見を封殺し、少数派の要望だけがどんどん実現していくいびつな社会。
すなわち少数決の社会、すなわち共産主義社会が、もうすでに日本で出来上がっているのではないか?
社会のシステムはもうすでにマイノリティ優先に作り替えられた。
次に彼らが目指すものは、民主主義によって選ばれた政府の打倒ではないか?
私の目にはそんな風に映り始めたのだ。